なめてましたすみません(2)か、母さん・・・訳ありって・・・?

小さい頃から鉄棒とか手すりをよくなめてましたすみません、Rioです。
湾曲したガードレール、歪んだカーブミラー、錆びた校門、ぬるっとしたドアノブ

すべて私のせいです。

なめるたび業者さんが直し、直すたび登下校でなめるのトムとジュリー。
なんなら業者もなめる私に対し、私の素行を直しにかかる業者さん。
ケインズ派も括目せざるを得ない財政出動の連続コンボ、
永田町界隈からは舐☆ニューディールと囃し立てられました。

本気で向き合った者たちだけに見える境地でしょうか?
次第にお互いの間には特別な感情が芽生えてきました。

 

 

 

Love So Sweet

 

 

 

 

そんな私も

 

 

おかんが訳あり

 

 

だと知った時には動揺を隠せませんでした。

 

 

私の出身は東京都台東区の三ノ輪。通称チンチン電車と呼ばれる路面電車の終着駅であると同時に、江戸時代から続く日本最大級の遊郭吉原と、同じく日本最大級のスラム街と言われる山谷の間に位置する町だ。間に位置するというかむしろ、吉原・山谷を結ぶ二等辺三角形の頂点に君臨している。

町を貫くのは通称「土手通り」

この通りを挟んで右側にはベンツが走り、左側にはリヤカーが走る。それぞれ積んでいるのは札束と、アルミ缶だ。ちなみに山谷は江戸時代に大規模な処刑場があった場所でもあり、さらし首にされた罪人が血の泪を流した(激コワっ!!!)ということにちなんだ交差点「泪橋」がある。その泪橋を舞台にした漫画が「明日のジョー」であり、町興しに建造された「明日のジョー銅像」がわずか2週間で盗難されたことは記憶に新しい。

 

 

「土手」

「ベンツ」

「泪橋」

「処刑場」

「盗難」

「力石徹」

 

 

なんという響きだ・・・

 

 

これだけの単語を寄せ集めれば、たとえ中身がミッフィーちゃんであっても、タイトルだけでスプラッター映画並みのインパクトを与えられるはずだ

 

 

 

 

 

「劇場版力石徹☆土手でベンツ盗難?泪のミッフィー橋処刑場」

 

 

 

 

ともかくだ・・・

ここは、欲望と絶望が渦巻く修羅の町・・・

 

 

それらを結ぶ二等辺三角形の頂点にあるもの・・・

 

 

そう

 

 

それが我が家だ。

 

おかんはそんな町で生まれ育ち、一時は東京の品川に居を移したものの、私が中学に入る頃には何の因果かこのデトロイトメタルシティーに引き戻されたのだった。だから知っている。この町の酸いも甘いも。だから驚かない。うちの駐車場の中でおじさん2匹が勝手に段ボールハウスを建造して大五郎で酒盛りしていても。

 

おかんは女手一つで私達姉弟三人を育てあげてきた。私を含む全員が結婚し家を出たあとも、「働いていた方が気が休まるわ」と、子供達に頼ることなく自分で身を立ててきた。

 

ところが最近、おかんが弱音を吐き始めた

 

「ちょっとねぇ、職場の人間関係がねぇ。嫌になっちゃうわよね、この歳で?」

 

柄にも無いことを言うなとあまりに気に留めなかったが、数週間後おかんは仕事を辞めてしまったのだった。たまには休むのもいいでしょう?と、次の職場は探さず少しゆっくりするらしい。

 

しかし、また数週間経っておかんから電話が来た。なんと次の職場が見つかったらしい。

 

「いやぁ、家でじっとしてるのものね?ボケちゃうじゃない?」

 

「それは良かったね。場所はどこ?」

 

「家の近所」

 

「い、家の近所?そうか、家の近所になんて働くところあるんだね?」

少し嫌な予感がしてきた・・・

 

「ちなみになんていう会社?お店?なの?」

 

「う~んと、ワケアリホンポ」

 

「え、ワケ?なに?」

 

「『訳あり本舗』だって」

 

「ど、どんなお店なの?」

 

「ん~、外国人が良く来るかな?」

 

 

 

 

ずきゅうっぅぅっぅううううぅうん

 

 

 

 

ついに来てしまったか・・・

 

おかんはそんなにお金に困っていたんだろうか・・・?

 

もしくは心の渇き・・・?

 

いずれにせよなぜそれに気づいてやれなかったのか・・・?

 

あの頃からの記憶が走馬灯のように蘇る

 

「女手一つで」

「酒盛り」

「おかん」

「60代」

「吉原」

「酸いも甘いも」

「訳あり」

 

 

つまりこういうことだろう

 

 

 

「訳ありおかん60代、酸いも甘いも女盛り」

 

 

 

ある意味「ミッフィー橋処刑場」以上のスプラッターではなないか。

 

 

 

「ちょっと、さすがにそういうのはまずいんじゃないか!!」

つい語気が荒くなってしまう。

 

 

 

 

「いや、なにが?浅草のお土産屋だよ?外人がミッフィーTシャツ買ってくの」

 

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ここまで来て、おかんの職場をネットで晒してしまったことに若干の後悔が出つつありますが、どうやら訳あり本舗は4店舗あるようなので一安心です。

つまりは人間誰しもバイアス(=偏見)を持っているということです。何か前提となるような情報を持っていると、それを都合の良いように解釈してしまう。心理学や組織論の分野ではこれをConfirmation Baisと呼びます。

私がMBAに関しなめていたもう一つのものが授業のクオリティーです。巷のブログでは、「MBAは意思決定の訓練であり、知識自体は重要ではない」「一定レベルの学校であれば学ぶ内容は一緒」など、ともするとMBA授業それ自体はあまり意味がないのではないかと思えてしまう言説を良く見かけます。これらはきっと決して間違っていないのですが、MBAでの授業内容自体に意味がないということには決してなりません。前者は「知識は使って(特に経営の観点からは、意思決定に用いることで)初めて意味があるから、使えるように身に付けようね!そのためにMBAはいいよ!」ということを、後者は逆に「どの学校も素晴らしい学習体験を提供している」ことを示しているのだと私は解釈します。

上述のConfirmation BaisはKoomも紹介していたLeading Peopleという授業で扱った内容です。人間がどれだけ偏見を持っているかということを(ちなみに無意識に有している偏見をImplicit Baisと言います)、また、広く言えば人間が組織の中でどのような行動を取るのかを、

・膨大なリーディング
・クラスメイトの実体験を踏まえた徹底的な討論
(元軍人の学生から「捕虜への拷問を指示されたら断れるのか?」といったきついテーマが投げかけられます)
・クラスメイトを対象にした質問形式の調査
・過去の実験のビデオ(ミルグラム実験等)
・授業中のゲーム

など、多種多様な角度から追体験していくのです。

訳ありおかんの話がどれだけビジネスに役立つかはわかりませんが、授業を通じて自分の視野の狭さや固定観念の強さにはっとさせられた場面は一度や二度ではありません。心のどこかで、「所詮は授業、知識をさらっと習得するくらいのものだろう」と思っていた私にとって、そのような人間性の根底にせまる場面に触れられているのは、喜ばしき誤算と言う他ありません。

 

そういう意味でなめてました、さーせん。

 

ちょっと収拾がつかなくなったので、今日のハロウィンの写真でものせときます。

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