フォーカスと相対性理論

一眼レフは普通のデジカメに比べて格段に映りが良いものだが、それは多分に被写体の焦点を変えられることに依る。料理写真なんかでも、やはり中心に焦点があたって周りを上手くぼかしていると美味しそうに見える。

 

要するにフォーカスをどこにあてるかという話だが、これは写真に限らず、図像・音楽・言語等様々な形式のコミュニケーションにおいて、通奏低音のように効いてくるなぁとずっと感じてきた。多種多様な機会に恵まれるMBA生活は、ともすれば何に焦点を当てるかということに苦労しがちなので、より実りある身の振り方を考える上でもこの「フォーカス」という事象を一度色々な角度から検証してみたいと思う。

 

 

1. 資料作り

誰かに何かを説明・報告する資料を作る時、特に協調したい事柄には色を変えたり、下線を引いたりしたくなるのは極めて一般的な感覚だろう。しかし、複雑な事象になればなるほど、どれが一番大事のなのかは書き手本人にも見えずらくなるので、得てして文章が強調だらけになる。例えば、以下のように。

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誰かに何かを説明・報告する資料を作る時、特に協調したい事柄には色を変えたり下線を引いたりしたくなるのは極めて一般的な感覚だろう。しかし、複雑な事象になればなるほど、どれが一番大事のなのかは書き手本人にも見えずらくなるので、得てして文章が強調だらけになる。

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こうすると、なにがポイントか見えづらくなるので、この中からより重要な事柄をさらに目立たせようとするようになる。

 

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誰かに何かを説明・報告する資料を作る時、特に協調したい事柄には色を変えたり下線を引いたりしたくなるのは極めて一般的な感覚だろう。しかし、複雑な事象になればなるほど、どれが一番大事のなのかは書き手本人にも見えずらくなるので、得てして文章が強調だらけになる。

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うーん、もう少し重要度の違いをはっきりさせたいなぁと思ったら、色を変えるという手もある。

 

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誰かに何かを説明・報告する資料を作る時、特に協調したい事柄には色を変えたり下線を引いたりしたくなるのは極めて一般的な感覚だろう。しかし、複雑な事象になればなるほど、どれが一番大事のなのかは書き手本人にも見えずらくなるので、得てして文章が強調だらけになる。

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ここまで来るともはやなんのこっちゃという感じだが、前職の職場でも実際にこのようなメールを打ってくる人は一定数いた。本質的にはこの文章は「複雑な文章には、強調が多用されやすい」ということを言っているだけなので(これも文章の見せ方、フォーカスに依るが)、そこを強調すればこのメッセージを伝達する上では事足りる。

 

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誰かに何かを説明・報告する資料を作る時、特に協調したい事柄には色を変えたり、下線を引いたりしたくなるのは極めて一般的な感覚だろう。しかし、複雑な事象になればなるほど、どれが一番大事のなのかは書き手本人にも見えずらくなるので、得てして文章が強調だらけになる。

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そもそも、赤字が絶対的に強調の効果を持つかといえばそういうわけでもない。何が目立つかは、あくまで他の要素との相対的な関係によって成立するので、他の要素がすんごいことになっていれば、赤字の存在感はたちまちかすむ。

 

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誰かに何かを説明・報告する資料を作る時、特に協調したい事柄には色を変えたり、下線を引いたりしたくなるのは極めて一般的な感覚だろう。しかし、複雑な事象になればなるほどどれが一番大事のなのかは書き手本人にも見えずらくなるので、得てして文章が強調だらけになる。

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いったいどっちがすごいのか・・・
某商社ではA3社内説明資料なんかになると、何色も使う民族(特におじさん達)が生息しており、そういった資料を「色ガチャ」と呼んだりしていた(使い手のおじさんは「イロガチャー」@ポケモンNo. 991)。色がガチャガチャしていて見づらいのだ。
逆に言えば別に赤字にしなくたって、強調の効果を持たせることは可能である。最も一般的な色である黒を使い、下線や太字を適用せずとも、以下のように強調の効果を与えることは出来る。

 

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誰かに何かを説明・報告する資料を作る時、特に協調したい事柄には色を変えたり、下線を引いたりしたくなるのは極めて一般的な感覚だろう。しかし、複雑な事象になればなるほどどれが一番大事のなのかは書き手本人にも見えずらくなるので、得てして文章が強調だらけになる。

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赤という色それ自体の存在感が強いので、多少赤字の部分にも目を引かれるが、それでもやはり黒字の部分が重要部分である感じを受けないだろうか?他の部分をもっと落ち着いた色にすれば、黒字の協調効果はさらに高まる。

 

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誰かに何かを説明・報告する資料を作る時、特に協調したい事柄には色を変えたり、下線を引いたりしたくなるのは極めて一般的な感覚だろう。しかし、複雑な事象になればなるほどどれが一番大事のなのかは書き手本人にも見えずらくなるので、得てして文章が強調だらけになる。

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これはまさにフォーカスは要素毎の相対的な関係で決まることを示している。タイトルには大仰にも相対性理論を掲げたが、アインシュタイン君も時間や空間について同じようなことを言っている。時間はその空間の速度との相対的な関係で決まるので御座います、絶対的な時間なんてないんだなぁ~、速く移動する空間の時間は遅く進むのでげす、と(詳しくは、相対性理論、光時計とかでググれカス)。

 

2. メロディーや和音

面白いことに、音楽にもこの相対性の考え方はかなり通ずるところがある。

 

ドレミファソラシ・・・ 誰もが放課後のリコーダーを舐め舐めして、その音色の恍惚とあかねちゃんとの間接キスへの背徳に身が悶えた経験がおありだろう。

ともかく二つ以上の音を同時に出すと気持ちよかったり・気持ち悪かったり、とにかく単一の音とは違う感じがする。これをいわゆる和音(ハーモニー)と呼び、出す音それぞれの周波数の関係で、「どの音が前に出るか」(ドミソと弾くとドが聞こえる)と「気持ち良いか・悪いか」(ドミファは結構きつい)が決まる。基本的には、一番低い音が前に出るように人間の耳は出来ている。

また、半音違い、例えば、シとドはとても気持ちの悪い響きがするが、面白いことに、シを1オクターブ上げると非常に気持ちの良い音になる。同じ二つの音のセットにも関わらず、高いシを使うことで、ドが前に出る音になり、そこから相対的に見た高いシの周波数は、ドの周波数とどっきりマリアージュして、天使の羽衣のような音色を奏で始めるのだ。(ピアノやギターがある人は是非試して欲しい。出来ればド・ミ・シの組み合わせで。かなりの恍惚感だ)

 

更に、相対性の話は和音をどう構成するかにとどまらない。あるメロディーがどう聞こえるかも他の要素との相対性に大きな影響を受けるのだ。

 

手前味噌ながら、私が所属するジャズバンドで作曲したJust a Motifという曲を事例に取り上げる。この曲は、8小節分の長さの同じメロディーをひたすら弾き続けている(途中から即興のソロになるのでそこは無視)。同じメロディーを繰り返すと飽きないのか?という疑問も湧いてくるが、意外とそうでもない。それは、同じメロディーの土台に、三種類の異なるリズム・和音を組み合わせているからだ。他の要素との相対性によって、同じメロディーなのに違うように聞こえるのだ。

下の動画では、Aメロにあたる00:47-01:00では悲しげに、Bメロにあたる01:00-01:15ではなんだか楽しげにメロディーが聞こえるはずだ。でも、ピアノの主旋律は完全に同じ音程のメロディーを弾いているのだ。

 

 

逆の発想で、「同じ和音」に「違うメロディー」を乗せることも出来る。曲の土台は同じなのに、これも全体としては違って聞こえるのだ。

事例には枚挙に暇がないが、わかりやすい事例としては、Jassie JのPrice Tagがある。この曲は、Aメロ、Bメロ、そして、サビすべてが同じ和音(4つの和音の進行)にて構成されているが、その上に流れるメロディーが違うので、曲がしっかりと進行している感じが出ている。でも、実際には同じことを繰り返しているだけなのだ。その証拠に、ちょっと難しいかもしれないが、この曲のAメロを流しながらサビを合わせて歌ってもまったく違和感がない。

 

少しフォーカスから話が逸れてしまったが、要するに相対性によってどこにフォーカスがあたるか、何が際立つなのか、全体としてどう見える・聞こえるのかが決まるということだ。もう少し音楽の事例を言えば、曲のスピードや音量も相対性の一部を成すだろう。同じ速度でも、速いスピード(音楽用語としてテンポという)で曲を展開したあとにそこに落とす場合と、より遅い速度から始めた場合とでは聞こえ方が全く違うだろう。音量もしかり。

 

だから、どこを目立たせたいのか?を考えるときには、そのもの自体の効果を考えるのではなく、周りとの関係性を考えなければならない。逆に言えば、そのものを目立たせるように、他のものを配置しないといけない。

 

最初に図像・音楽・言語等と言っておきながら既に書き疲れてあきらめてしまったのは、この文章のフォーカスが絞れていないからであって、こういう文章をみなさんは書いてはいけません。

 

(続くかも)