IBD2005

国際コンサルティング・プロジェクト (International Business Development)

IBDについて

4名一組からなるチームが世界各国に散らばってコンサルティング活動を行うHaasの目玉プロジェクトです。3単位が付与される選択科目であり、夏休みの最初の3週間、それぞれアサインされた国に滞在してプロジェクトに従事することになります。2005年は1年生240名中110名がセレクションに応募し、72名が担当教授とクライアントによる審査をパスして参加を認められました。

1月に滞在国が発表され、それから4ヶ月間はクライアントとのカンファレンスコールを定期的に行いながら下調べを進めていきます。対象国はアフリカや東南アジア、南米等の途上国となりますが、例外的にフィンランドでのプロジェクトが毎年アサインされています。私はフィンランドを第一志望に、インドを第二志望として応募したところ、フィンランドをアサインされました。フィンランドを志望した理由はテクノロジーの商業化に関するプロジェクトに携わることで、将来のキャリアにプラスになると考えたからです。商業化とはすなわち、有力な技術やアイデアをいかにしてキャッシュフローに変えるかということであり、その仕組みづくりがビジネスプラン(事業計画書)の作成ということになります。説得力のあるビジネスプランの欠如は、スタートアップや経営上の困難に直面している企業が共通に抱える課題であり、ここにアプローチする能力を身に着けたいと考えました。ハイテク案件に携わることで、自分に足りない点を補完できるという点もフィンランドを志望した大きな要因です。クライアントサイドからすると、ファイナンスをバックグラウンドと学生をチームに入れたいとのことで、私がアサインされることとなりました。

プロジェクトの概要 1

クライアントはフィンランド政府系の研究機関であるA社であり、A社が大量に抱えるソフトウェア知的財産権(Intellectual Property Right)の商業化戦略を提案するというのがプロジェクトの課題でした。1月以降、カンファレンスコール、ケーススタディ(事例研究)及びインタビューを重ねて情報収集を進め、5月22日に現地でのプロジェクトがスタートしました。ヘルシンキ滞在中の主な作業は関係者へのインタビューです。A社の研究者やマネージャー、外部のベンチャーキャピタリストやインキュベーター、そしてノキア等、数多くのインタビューをこなしました。

ソフトウェアIPRの商業化の形態としては、1)エンドユーザーへのライセンス供与、2)ソフトウェアベンダーへのライセンス供与、3)スピンオフ/ジョイントベンチャー、4)オープンソースの4つに大別でき、他にパテントそのものの売却も検討対象となると考えました。それぞれの戦略には長所と短所がありますので、商業化のもととなるソフトウェアIPRの市場性や競争力を評価したうえで、とるべき戦略を提示するというのがファイナルプレゼンテーションに向けた大まかな流れとなりました。

クライアントはスピンオフに強い関心を示していました。うまくいけば大きな利益を手にすることができるので、関心を示すのも当然といえば当然です。既にスピンオフの事例はいくつかあるようですが、株式公開(IPO)や合併・買収(M&A)といった出口戦略(Exit Strategy)まで辿り着いている案件は極めて限られているようです。フィンランドの株式市場時価総額(1800億ドル)は日本のわずか20分の1、アメリカの90分の1であり、ノキアへの売却というオプション以外に国内に出口戦略の検討余地はそう残されていないのが現実です。従って、グローバルな事業展開が必須となってくるわけです。とりわけ、サンフランシスコ・ベイエリアのベンチャーキャピタルから資金を調達しようと思えば、事業の初期段階から海外市場を念頭に置く必要があります。

クライアントはオープンソースにも強い興味を抱いていました。オープンソースをビジネスモデルとして成功させている事例としては、Linuxのディストリビューターであるナスダック公開企業RedHatがまず思い浮かぶところですが、A社の参考となる事例ではありませんでしたので、Dual Licensing(オープンソースと商用ライセンスの二本立て)をビジネスの核とし、そこにコンサルティングやメンテナンスサービスを付加するビジネスモデル提案することにしました。顧客基盤を順調に拡大させているノルウェーのTrolltechや2006年2月にオラクルに買収されたUC Berkeley発のSleepyCatが採用しているビジネスモデルです。

プロジェクトの概要 2

今回のプロジェクトではソフトウェア知的財産の商業化に関する大きな・#32117;・#12434;描くほかに4つ具体的な事例の評価も依頼されたのですが、そのうちの一つ、モバイル絡みの案件が非常に魅力的でした。守秘義務契約上、中身を述べることはできませんが、確実にニーズはありますし、グローバルに展開できる事業です。まだ試作品もできてない段階ですが、プレスリリース後各方面から問い合わせが来ているようで、日本の大手企業からも連絡があったということです。今すぐにでもビジネスプランを書きたいような案件でした。そこで、インタビューの際に「もしスピンオフすることになったら、どういうかたちで関わっていきたいですか?」と質問したところ、「我々のチームはみんな研究開発志向なので、新しい会社を興してでっかいのを狙おうって発想は正直ないねえ」との返答です。もともとA社は営利目的ではないため仕方がないといえば仕方がないのですが、研究開発志向の強い組織において、・#37329;儲け・#12398;センスを浸透させていくのがいかに大変かを再認識した次第です。

ファイナルプレゼンテーション

6月8日に行われたファイナルプレゼンテーションは45分+15分の質疑応答という構成でした。プレゼンテーションはチームメイト4人で均等に割り振ることにしました。まず米国人女性のJulianaが外部環境を説明し、次に米国人女性のKarenが組織内部に関する考察を述べました。次いで、私がソフトウェアIPR商業化のストラテジーとフィンランド及び米国での資金調達環境について説明し、最後にインド人のSanchitが、我々が作成した評価項目一覧表に基づいて個別の4案件への提案を行いました。

1月のプロジェクト開始当初は、ちゃんと・#12363;たち・#12395;できるのか心配だったりもしましたが、クライアントの反応が良く一安心しました。プレゼンテーションの最後にはこの3週間一緒に働いてきたHeikkinen氏からプレゼントを頂くというサプライズ的な演出もあり、非常に感慨深い一日となりました。

反省点

一つだけ悔いが残った点は、4案件の個別評価です。それぞれの開発者にインタビューをしたうえで商業化のポテンシャルを評価したわけですが、4つのうちの一つが非常に低い点となってしまいました。全てが満点というわけにはいきませんし、ここで恣意的に操作すると我々の手法そのものに疑問符がつくので、結果については仕方がありません。しかし、実際にインタビューに応じてくれた開発者がその場にいることを思うと、やはり心苦しいものです。ちゃんとフォローを入れながら発表したとはいえ、彼がどこかしら悲しげな顔をしているのを見ると、「あ~あ、よそからズカズカとやってきて何と夢のないことをやっているんだ」と思わずにはいられませんでした。

今振り返ると、質疑応答の際に我々の手法の限界点を説明し、それとともに彼のアイデアのアップサイド・ポテンシャルを再度強調する機会が確かにありました。にもかかわらず、その場でそれを述べることができなかったのは自分達の落ち度といえます。評価結果に手心を加える必要はなかったと今でも思いますが、協力してくれた彼により配慮すべきではなかったのか、失礼なことをしたのではないか、という思いを拭い去ることは出来ません。全体として成功したと言える今回のプロジェクトの、反省点の一つです。

Fun!

3週間にわたって現地に滞在して「同じ釜の飯を食う」わけですから、「いかにFunなことをするか」もIBDの大事なポイントだったりします。アフリカのとある国に滞在したチームは、サバイバルな経験を経てより結束力が強まったそうです。我々の場合、ヘルシンキという都市部に滞在していたことから、毎晩のようにチームメイトやA社の若手社員と飲みにでかけたり、パーティーに参加したり、カジノで遊んだりとナイトライフを楽しみました。また、A社の若手社員が世界遺産スオメンリンナの要塞を案内してくれたり、週末に郊外の湖畔のキャビン(小屋)に招待してくれたりと、大変温かいもてなしを受けました。キャビンでは本場のサウナを堪能したあとそのまま湖に飛び込み、翌朝には森のなかを大型犬と一緒に1時間ほどジョギングです。別の週末には、エストニアの首都タリンを訪れ、素晴らしいの一言に尽きる中世の街並みを楽しみました。とにかく、毎日が新鮮で楽しかったという印象です。
プロジェクトだけでなく遊びでも同じ時間をともにしたチームメイトとは、卒業後日本に帰国した今でも連絡を取り合っています。彼らとの友情がIBDで得た一番の財産かもしれません。

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